まないた村、やばい、かまど...
源頼朝の「富士の巻狩」に由来する地名と伝承
御殿場には特徴的な地名があります。
多くは、源頼朝の「富士の
▼まないた村バス停
(第34代富士娘 菊地理江)
「富士の巻狩」とは、鎌倉幕府を開いた源頼朝が1193年(建久4年)に富士の裾野でおこなった狩りを兼ねた戦闘訓練であり、軍事演習です。馬に乗ったたくさんの武士たちが5月8日に鎌倉を出発し、15日まで御殿場で、その後は富士宮に移動し6月7日まで続けられた大規模なイベントでした。
巻狩に関連する地名が御殿場には52ヶ所あると言われています。※参照『令和3年度 御殿場探訪』御殿場市民交流センター 編集・発行 P.49
まないた村(神場区)
「まないた村」は、巻狩の食事の
まないた村のある
▼まないた村周辺
神場区には神場山神社があり、その周辺にゴルフ場や工業団地が広がっています。富士の裾野を見渡せる広い土地であり、たくさんの馬が駆けめぐったであろう、富士の巻狩を想像させる雰囲気をもった場所です。
やばい(中清水区)
ネットで「ヤバい交差点」と話題になったこともある
▼国道246号線と市道が交差し、さらに高架の東名高速道路が交差
「矢場居」と書きますが、元は「矢場射」で、頼朝が最初に弓矢を射た場所と言われています。
少し離れた二子区には、高台から射た矢が届いたと言われる「
かまど(かまど区)
「かまど」とは、カマやナベの下で火を燃やし、煮炊きするための調理設備ですね。巻狩の食事のためのかまどが置かれた場所と言われています。
▼南御殿場駅北側に建つ地名由来の石碑(2001年/平成13年建立)
地名由来の石碑の横には、石を3つ並べた巨大なかまどがあります。
▼3つの石。上に大きなカマを置き、下で火を
以前は石がふたつだけ置かれていて「
碑文や住民の話によると、道路に面した二個の石(上の写真の苔むした二個の石)は1889年(明治22年)開通の東海道線(現御殿場線)敷設からのものであり、近年(年は確認中)付近の工事で出た石を三つ目として線路側に加え、かまどのように配置したそうです。
石碑に最初から刻まれていた「ニ個の石」の文字に、横線をひとつ加えて「三個の石」に書き換えられています。それに伴い呼称が「夫婦石」から「かまど石」に改められました。
ちなみに「かまど」は漢字で「竈」と書きます。
参考資料
源頼朝の「富士の巻狩」に由来する地名や伝承がほかにもたくさんあります。
『御殿場に伝わる富士の巻狩』文化財のしおり第25集
御殿場デジタル資料館:[御殿場の伝承]富士の巻狩
https://www.city.gotemba.lg.jp/museum/muse-cat-005/464.html