御殿場之魅力発掘隊

黒澤明『乱』エキストラ体験談

1984年/昭和59年10月~12月 富士山御殿場口新五合目にてロケ実施


『乱』御殿場ロケにて指揮をとる黒澤明監督


富士山に築かれた城


エキストラのやり
画像提供:河村光彦/株式会社tokyowebtv(3枚共)

黒澤明監督の映画『乱』の御殿場ロケは、富士山御殿場口新五合目(太郎坊たろうぼう付近)に実物大の城や城門を築き、1984年/昭和59年10月26日(金)から12月24日(月)までおこなわれました。

総工費4億円といわれた城の炎上シーンが話題となり、連日多数の侍役のエキストラが参加しましたが、実際にエキストラに参加した御殿場市在住の勝又茂樹さん(1965年/昭和40年6月生まれ)に、お話をうかがいました。

大学の友人とエキストラに参加

当時私(勝又茂樹)は大学生で、御殿場の自宅から三島の日本大学に通っていました。構内のアルバイト募集の掲示板でエキストラ募集の貼り紙をみつけ、友人3人と2日間連続でロケに参加しました。朝、大学にバスが2台迎えに来たので、日大生だけでも数十人参加していたと思います。

1日目、富士山のロケ現場に到着し、かぶととよろいを身に着け、足軽のようなかっこうをしました。エキストラの衣装はダンボールのような簡単な材料かと思ったのですが、かぶとは鉄製、よろいもしっかりした造りで剣道の胴のようなものでした。全員がそれを着るので、お金がかかっていると思いました。顔を黒っぽくするためにドーランか何かを塗ってもらいました。

ところが、霧が出て撮影が始まりません。プレハブ小屋で霧が晴れるのを待ちましたが、結局その日は撮影はありませんでした。弁当を食べ、お金をもらって帰ってきました。5千円か6千円くらいだったと思いますが、いい金額だと思った記憶があります。翌日、撮影がおこなわれたときも同じ金額でした。

リハーサルでへろへろに
本番は本物の戦いだった

2日目は撮影がおこなわれました。集まったエキストラの中に弓道経験者がいるか聞かれ、2人くらい手を挙げていました。
私はやりを持つ侍のエキストラでしたが、指導係の人からは、走れ、転ぶな、ヘルメット(かぶと)やよろいが乱れないようにしろ、などの注意がありました。槍を構えるポーズはどうにかできても、実際に走ったりする練習ではたいへんな思いをしました。

槍を持ち、門の手前からスタートして門を10メートルくらい過ぎたところまで50メートルほど走るのですが、足元は火山灰の砂地で登り坂です。標高が高く(約1,400メートル)空気が薄いこともあって、息が切れてへろへろになりました。カメラに映るのだから真剣にやろうと思ってやりましたが、たいへんでした。大勢で走るので、砂ぼこりが立っていました。

本番では、門に向かって走ると頭の上を火矢が飛び交っていました。私のすぐ前の壁に矢が突き刺さったりして、まるで本物の戦いでした。

根津甚八さんに遭遇

食事のときに弁当を受け取りトン汁の列に並んでいると、エキストラとは違ったよろいを着けた、あまり大柄でない人が前のほうに横入りしました。根津ねづ甚八じんぱちさんでした。根津さんはトン汁を受け取ると、エキストラもいる場所で台か何かに腰かけて食事を始めました。

映画を見たら……

完成した『乱』は映画館で見ました(1985年/昭和60年6月1日一般公開)。意気込んで日比谷の大きな映画館まで友人たちと足を運びました。私が映っているのは仲代達矢さんが天守閣から外をのぞく場面だと思うのですが(撮影日に仲代さんはおらず、エキストラだけ城の周囲で撮影したと思う)、城の下のほうに大勢の侍たちと一緒にいるはずの私は全然映っておらず、いなくてもよかったくらいの感じで編集されていました。

中央に役者さんがいて、カメラが引くと左右に並んだ侍が大勢映る場面があったのですが、侍たちが左右に重なった中に、顔半分だけ友人が映っていたと友人本人が言っていました。その撮影日には、私は参加していませんでした。
私も当然映るものだと思っていたのに、結局は映っておらず、がっかりしました。

母から聞いた二岡神社のロケの話

母(1938年/昭和13年6月生まれ)も昔、映画の撮影を見たことがあるそうです。母の実家は二岡神社の近くで、二岡神社の中の細い道を馬に乗った侍風の人が何度も行ったり来たりするので、何をやっているのかと思いながら見ていたそうです(編集部注:1953年/昭和28年11月に御殿場ロケがおこなわれた『七人の侍』の可能性があります)。
武者姿の人が馬に乗ってふつうに二の岡の道を歩いていたようなこともあったそうで、馬にはねられないよう気をつけるようにと、親から言われたそうです。

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興味深い話をありがとうございました!

『乱』スタッフによる解説

勝又茂樹さんの体験談を『乱』のスタッフだった方に伝えたところ、詳しく解説していただきました。以下は、『乱』メイキングビデオ撮影スタッフとして御殿場に約3ケ月間滞在したこともある河村光彦さん(株式会社tokyowevtv)による解説です。

ビデオに記録されたエキストラ指導のようす
勝又さんの体験談で、走れ、転ぶな、などと注意された話がありましたが、エキストラへの指導のようすを撮影したメイキングビデオがあります。
下の動画の 0:00~0:50 が、勝又さんの証言とほぼ一致する内容です。メイキングビデオの撮影日は11月21日(水)で、勝又さんの参加日だったのかわかりませんが、エキストラの顔ぶれは変わるため、連日こういった指導がおこなわれていました。

▼映画『乱』御殿場ロケ 1984年11月21日(水)撮影

エキストラの指導係は三十騎の会
『乱』でエキストラの指導をおこなっていたのは「三十騎さんじっきの会」のメンバーです。『影武者』(1980年/昭和55年)の武士役オーディションに合格した40人によって「四十騎の会」がつくられ、後に「三十騎の会」となり、『乱』の撮影に参加していました。

エキストラのギャラ
御殿場駅前の旅館「大黒屋」の電話で、夜になると助監督が日大生の名簿を前にエキストラの依頼をしていたので、ギャラを聞いたことがあります。『乱』は1日4千5百円だと言っていました。
勝又さんの記憶では5千円か6千円だったとのことですが、御殿場ロケは大勢のエキストラが必要なシーンが多く、もしもエキストラ不足で撮影できずに延期になって費用がかさむよりは、若干ギャラを上げても確実に人数を集めたいようなことがあったのかもしれません。事実、エキストラが集まらず撮影中止になってしまった日(12月22日・土)がありました。

エキストラから射手を募集
日大の弓道部の学生に何度か来てもらったことがあります。それ以外にも必要なときは、当日のエキストラからも射手いてを探したのでしょう。

根津甚八さんがエキストラと一緒に食事
根津甚八さんは準主演だったので、ふだんは黒澤監督と一緒に食事をしていました。製作会社であるヘラルド・エースの社長やフランス人プロデューサーといった来客があったり、マスコミ取材があったりすると、その対応で黒澤監督が別行動することがありました。その日は何かそういった特別な事情があり、根津さんもエキストラと同じ場所で食事をとったのかもしれません。いずれにせよ、主演級の役者さんがエキストラと一緒に食事をするのは異例なことで、根津さんに間近で会えたのは幸運でしたね。

勝又さんのロケ参加日はいつ?
先のエキストラのビデオ撮影日の11月21日(水)だった可能性もあります。撮影資料ではその日は「(前略)を予定していたが(中略)三の城搦手門からの次郎軍の突入に変更する」となっており、門に突入するシーンが撮られています。ホースで水をまくようすがビデオに映っており、砂ぼこりが立ったという証言とも合います。指導役が「今日、坂道を走ります」と言っているのも、勝又さんの証言と合います。また前日の11月20日(火)は雨で撮影が中止になっています。

しかし、その日だと断言しきれない要素もあります。御殿場ロケは2カ月間にわたっておこなわれたので、似たような状況が何度かありました。エキストラが門を突入するようなシーンは繰り返し撮影されました。地面から水蒸気があがりスモークになる効果を狙って水をまいたことも頻繁にありました。新五合目のロケ現場全体が、言ってみれば坂道でしたし、霧や雨で撮影中止になった翌日に撮影できたことも何度もありました。
勝又さんのロケ参加日が11月20日(火)と21日(水)であったとしても矛盾はないものの、断定まではできない、といったところかと思います。

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勝又茂樹さん、河村光彦さん、貴重なお話をありがとうございました!
御殿場や周辺地域の映画ロケ・テレビロケなどの話をご存知の方は、ぜひ情報をお寄せください。

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(ページ公開:2021/03/14